時代に飛び込み、声を聴く ―自然界に学ぶ価値づくりの原点(2019年12月11日)

時代はいつも、辺境から変わり始めます。時代の中心とは対極の声に耳を澄ませることで、私たちが目指すべき「人間の尊厳」に代わり「生命の尊厳」を守ることを目的とした、新たな社会を創りたい。そうした意図で、本年の連載は「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」と銘打ち、被災・貧困・老い・障害といった社会課題に取り組む方々にお会いしてきました。そして、そこに新しい社会の兆しを見ることが出来たように思います。

第1回の舞台は、東日本大震災から丸8年目を迎えた福島県南相馬市。自然災害のみならず、人為的災害を経験した地域は今、どのような未来を見ているのか? 我々が「安定」を求めて作り上げた近代システム。それが機能停止し「近代システムこそが安心である」という神話を失った方々が、新しい安心や豊かさとして提示されたのは「人や自然の関係性」でした。

第2回は、上記で浮かび上がったテーマ「関係性」に焦点をあて、認知症を抱える高齢者、そして経済的・社会的貧困を抱える子供たちの人生に、事業を通して寄り添い、共に生きる方々を尋ねました。「関係性」という新たな社会ニーズを市場化し、商品として提供することで、経済的動機性ではなく社会的動機性で行動する人が増えていく。そんな行動変容の現場に希望を感じました。同時にこの鼎談で見えてきたのは、社会的に「弱い」とされる立場にいる子どもや高齢者が、感動を生み出す大きな可能性を秘めている、ということでした。

そこで第3回では、身体的障害を抱えながら、ビジネスを通して「バリア(障害)をバリュー(価値)」に変える挑戦を続けておられる事業家に話を伺いました。社会の当事者として、そして他でもない自らの命の当事者として生きる彼の姿に、自己表現としてのビジネスの可能性を見出すことができた回でした。

これらの連載全体を通して感じたことは、現代で「弱さ」とみなされているものは「自然(ナチュラル)」なものである、ということです。工業社会の生産性・効率性といった物差しで測られることで、無力なもの・無価値なものと判断された結果「弱さ」という枠組みでカテゴライズされてしまっているだけなのです。「弱い」「強い」といった既存の概念にとらわれず、本来の命の在り方から、私たちは社会というものを捉え直し、創り出していく必要があるのではないでしょうか。

自然は、善悪という概念を超えて、したたかなものです。生き延びるために、あえて自らを周囲に溶け込ませていきます。他の様々な存在と調和を保ちながら、個々に生命エネルギーを発露させている。その姿は、それぞれ非常に個性的です。また11つは、曖昧で儚い存在ですが、繋がることで強靭なレジリエンス(回復力)を発揮します。
私はここに「人間の尊厳」に代わり「生命の尊厳」を守ることを目的とした、新たな社会を迎えるヒントがあるように思います。

今、少なくない人々が、社会に振り落とされまいと怯えたり、闘ったりしています。「自分には価値がない」と肩を落としたり「個性を発揮したい」と願ったり、その結果、自身を消耗してしまう人もいます。

「自分らしく生きたい」と、自己承認を求める人々が溢れる現代社会。その願いの答えは、常に多様性に溢れている自然界にあると私は考えます。

「あなたは私であり、私はあなたである」

生き延びるために積極的に他者を取り込むことで、自らの個性を磨き、発揮していく。このような自然界の摂理に倣ってみるのです。私たちにとっての他者の総和である「社会」へ、自らをはじき落としかねない不安定な「時代」の中へ、あえて自ら飛び込んでいく。そしてその渦中で、じっと耳を澄ませてみてください。

「時代は、何を求めているのか?」 

すると、どうでしょう。

無機質だと思い込んでいた「社会」や「時代」という空間の中から、喜びのあまり泣いたり、悲しみのあまり笑ったりする人間の、時に奇異でいとおしい、あまりにも人間らしい声が、聴こえてはこないでしょうか。

本年の連載で出会った方々は、自らの思い込みや執着を手放し、他者の立場に身を置いて価値づくりに取り組んでおられる方ばかりでした。その姿は、人や自然といった他を己に取り込み、豊かな関係性の中で成り立つ命として、非常に魅力的に映りました。他者と繋がることで、自らの自己承認・自己表現欲求を満たしつつ、人や自然の関係性、すなわち生態系全体を豊かにしていく。これこそが、新しいビジネスの可能性であると私は考えます。

このような価値づくりが新たなビジネスとして花開いていくことで、人類は「強いものが生き残る」という「生存競争」とは異なる競争社会に移行していくことができます。経済的動機性による「価格競争社会」から、創造的調和を前提とした持続可能な「価値競争社会」へのシフトです。

"私が私であるために、無限の生命の良関係が必要である。
我々の心の内には、人々が求めているものがある。"

これは、私たちアミタグループが「Our Mission II」として掲げた言葉です。
私たちはこの姿勢こそが、ビジネスの原点だと考えています。
アミタグループはこれからも新しい社会づくりを、次世代の希望としてお届けできるよう、挑戦を続けてまいります。



2019年12月11日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役 熊野英介

※本稿では前回の連載に続き、下記の理由で「障害者」と表記しています。
①「障がい者」と表記すると視覚障害者の方が利用するスクリーンリーダー(画面読み上げソフト)では「さわりがいしゃ」と読み上げられてしまう可能性がある。
②障害は「人」ではなく「社会」の側にある、という考えに基づく。


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■2019年連載「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」

アミタホールディングス株式会社の代表取締役である熊野英介のメッセージを、動画やテキストで掲載しています。2019年度啐啄同時は「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」をテーマに、「誰一人取り残さない」持続可能な未来創造に取り組まれている方々との対談をお送りしてまいります。

「啐啄同時」連載一覧


■代表 熊野の書籍『思考するカンパニー』

2013年3月11日より、代表 熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味するようになった。

このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。