子供たちが見る未来の風景は?(2013年5月2日掲載)

アミタホールディングス株式会社の代表取締役会長兼社長である熊野英介のメッセージを、2ヶ月に1回、動画やテキストで掲載しています。



子供たちが見る未来の風景は?

(2013年5月2日掲載)

 5月5日は「こどもの日」。子供の健康を願い、成長を祝う祝日です。では、子供たちは今どのような社会を生きているのでしょうか?今回の啐啄同時は、今の社会を作ってきた当事者であり、時代に対する責任を担う一人の大人として、家族と社会のあり方について考えたいと思います。

 人には誰しも、子供を幸せにしたいという本能があります。かつて、「いつかは、マイホーム!」という夢が人々の上に輝いていた時代がありました。1956年に「もはや戦後 ではない!」と経済白書に明記され、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博と、日本の景気が湧いた時代。そして、ローンでやっと手に入れた夢のマイホーム。

 しかし、その後社会は、物質文明の軋みが顕在化し、ベトナム戦争の財政難からニクソン米大統領が電撃的にドルと金との固定 比率での交換停止を発表するニクソンショックへ、そして世界的な公害問題の発生、1973年と1979年には、政治的軋轢からオイルショックが起きました。個人の夢のマイホームの取得と半比例して、社会では関係性が劣化していったのです。人々の物質的豊かさの追求が、結果的に社会を劣化させるという皮肉を作ってしまったともいえるのではないでしょうか。

 このような激動の経済情勢の中に生まれた子供たちは、子供部屋を与えられ、勉強は塾で行うのが当たり前となり、リビングの主役はテレビになりました。そして、家のローンと子供の教育費のため、経済基盤を維持する親はがむしゃらに働き、努力してきましたが、その子たちが20歳を迎えるころ、日本では自殺、引きこもり、孤独死など絆の断絶が社会問題となりました。家族を一番大事にする時代を経 て、なぜ家族は壊れてしまったのか?親は子供を一番に考え、大事にしてきたつもりでも、子供には大事にされた記憶がない。溢れる物質文明の中、夢の家を手 に入れても、理想の家族は手に入らなかった。残念ながら、そうした現象が今なお起きていると、私は考えます。

 近代は教えます。「あなたの人生だから、責任を持って好きに生きなさい。けれど人に迷惑はかけては駄目よ!」個人主義を賛美し、謳歌する一方で、他者に迷惑をかけないようにと社会に対し距離を置くことを是とする教えです。

 高度経済成長を果たした親を持つ団塊ジュニアと呼ばれる世代が、いま40歳前後を迎え、家族主義になっています。仕事より、経済より、社会より、テレビや自動車より、家族が大切。その素晴らしい家族が生み出す次世代は、果たして幸せな社会を構築していくだけ、社会を理解できるのでしょうか?

 最近、多様性を大事にという意見の若者に多く出会います。その若者たちは、争うことより争わないことを選ぶ大事さも主張しています。しかし、本当の自然界の多様性とは、弱肉強食の競い合いの中で、強い生命力の本気のぶつかりあいが生み出した動的均衡状態のことをいいます。 若者たちは、彼らが主張する"自分たちに優しい"多様性が、それを守り支える大きな近代システムによって成り立っているということが見えていないように思 います。親に与えられた子供部屋を、自分の権利だから親にも関与させないぞ!と主張する延長で、社会を見ているのかもしれません。そうであるなら、これからも人間と自然を経費にしている近代システムは変わらないでしょう。

 マイホームを夢見た世代に育てられた、今の若い親たちの夢は何でしょ う?幸せな家族を夢見るのなら、それはどのような家族でしょう?豊かな関係性に満ちた社会を構築し、その一員として家族が幸せになることを彼らが望むなら、この物質文明を変えなければなりません。それには、強い生命力としての社会的パワーが必要です。しかし、もし自分勝手を認め合う弱い生命力の共感性を 心地よく思い、子供部屋社会を望むとするなら、次の子供の世代になっても、社会は変わらない。未来を見据えた持続可能社会の構築という社会進化は叶わないと、思います。

 では、近代が我々に与えた物質的な豊かさと行動の自由より、もっと伸びやかに心の自由、精神の自由を謳歌できる社会を築くためには、私たちはどうすれば良いのでしょうか? 人間は、生物的進化より社会的進化を選んだ生き物です。一人遊びより、大勢で遊ぶのが楽しいと思う種族です。相手の笑顔を見ることで自分も楽しめる想像力を身につけました。私は、ここにヒントがあると思います。自分や家族だけでなく、身の回りの人々が喜ぶ想像力を鍛え、それを仲間と相談して商品やサービスに昇華し、市場で価値を問う。その結果、社会がそれを評価し、価値の交換が増幅すれば、その資本を更に次の挑戦に投下する。こうした、人と人との関係性が深まる社会ニーズと市場ニーズを同時に満たすサービスを消費者が選び、企業が提供する循環が生まれたならば、経済発展と社会幸福が同時に実現される、新たな時代が訪れると私は確信しています。

 そして新たな時代の構築には、私たち大人が、本当の幸せとは何か?価値とは何か?ということを本気で自らと社会に問いかけ行動し、汗だくになって身もだえしながら真剣勝負で生きていく姿を子供たちに示していくことが、なにより重要だと思います。

 自らが生きた証に、今こそ子供たちと同じ風景を見ることのできる未来を築きたい。こどもが主役の日に寄せて、改めてその願いを言葉にしたいと思います。

2013年5月2日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介

会長メッセージ


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※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

 鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。 雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味する ようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。