「3.11の赤ん坊 二十歳の風景」(2014年5月9日掲載)

「3.11の赤ん坊 二十歳の風景」

(2014年5月9日掲載)

2011年に誕生した赤ん坊が成人する2031年の春、日本の風景はどうなっているでしょう。

2009年に厚生労働省は、2031年には厚生年金積立金が枯渇し、破綻するという試算を発表しました。(注1)この試算の前提は、大量消費に対する大量供給による経済を軸として考え、物価や賃金を基礎としています。つまり、社会のセーフティネットとしての役割を期待される年金の影響力は、現在の貨幣価値を前提に計画されているということです。では、現在から2031年までの17年間で、貨幣価値を決める「取引・交換」を取り巻く環境や、実態経済と金融経済の関係はどう変化するのでしょうか?

拡大する消費と減少する資源

需要の基礎となるのは、世界の総人口です。現在世界で最も人口が多い国は中国、次いでインドです。両国の合計人口は世界の人口の約35%を占めています。この二大国は、まだまだ消費欲求が強い国です。日本の人口が減少傾向にある一方で、2030年の世界人口は、2011年対比で14億5,090万人増加する、と試算されています。資源、エネルギー、食糧はむさぼり食うように消費されていきます。

一方で、資源、エネルギー、食糧等の供給は、自然環境が制約条件になります。世界では、森林伐採、火災、農地転用、焼畑農業の増加等により、毎年、日本の国土面積の約14%に当たる約520万ヘクタールの森林が減少しているといわれています。また、絶滅の恐れのある野生生物は21,000種を超えており、生態系の変化が及ぼす社会的・環境的影響はまだはっきりとわかりません。これらに加えて、地球温暖化が動植物の生息域により一層の変化をもたらし、さらに気象変化による旱魃や豪雨、大型台風や偏西風の蛇行による大雪等、今後自然環境はより不安定になっています。

このように、人口増加による消費拡大は需要増加が予測され、逆に自然環境の不安定化による、資源、エネルギー、食糧の供給不足が予測されます。

現在の延長線上にある17年後の姿

需要拡大と供給不足は、インフレーションを起こします。貨幣価値が下がり、結果として物価が上がります。もしこのような状況が実際に訪れれば、東日本大震災が起きた3.11の年に生まれた赤ん坊が成人する17年後の日本の風景は、不況と物価高で第二次世界大戦後の日本のような状況が再度出現するかもしれません。かつて「日いずる国」と評した日本が「日沈む大国」と評され、古代地中海地域で経済発展後に忽然と消えていったフェニキア(注2)のようにたとえられるでしょう。

現在の大量生産・大量消費による量的な規模拡大で「幸福の最大化」を目指す社会は、地球の未来を疲弊させます。その結果、益々格差は広がります。人類は、歴史上格差問題を解決するために宗教的価値観か、政治的管理社会に頼るという手法をとってきました。宗教や政治は「正義」を掲げます。「正義」と「正義」が衝突すれば、悲惨な戦争になります。

3.11の赤ん坊たちは成人する時、将来への絶望を見てしまうのでしょうか?それとも、格差を解決するための第三の道を作るのでしょうか?

第三の道は経済による解決

第三の道として、私は経済があると思っています。それも現在のように安い原材料を世界からかき集めて、製品を世界に再度輸出するような「グローバル経済」ではなく、ローカルにおいて限られた資源ストックを最大限に価値化し、価値と物質が循環する「範囲の経済」が大事です。そのためには「量的拡大」を目指す経済から「質的拡大」を目指す経済への転換が必要です。なぜなら「量的拡大」の必要性は、価格競争の為のスケールメリットが引き起こすからです。

世界史上、西ヨーロッパと日本が封建社会を形成しました。ユーラシア大陸の両端で生まれた封建社会は、格差を生みました。西ヨーロッパは、格差をなくすため質の均質化を図り、規模の拡大を広げる工業化を進め、現代の大量生産・大量消費につながる産業革命が起こりました。これが「量的拡大」を目指す経済の始まりです。

一方日本は、質の違いを利用した価値競争を行い、文化を多様に進化させました。日本文化の中で発達した職人技は、エネルギーや資源や食糧を出来るだけ使わず、徹底的に利用する始末の価値観も生み出しました。「この世に無駄が無い!」という思想です。私はこれこそが「中間技術」(注3)だと考えています。

このように価格競争の末「量的拡大」しなければ経済が成り立たない「規模の経済」ではなく、中間技術によって付加価値を向上させる、価値競争による「質的拡大」の経済が必要です。そして、価値と物質が循環する「範囲の経済」を作り上げ、そこで生み出される価値を共有・共感する「ネットワーク市場」を持った「開かれたローカル経済」が大事だと思います。

このような第三の道を日本から世界に向けて構築できれば、日本は個人資産が1,600兆円あり、秩序と礼儀が保たれ、フィンランドやスウェーデンに次ぐ森林資源を持ち、水が豊富で四季の恵みを受けているストックがある生活大国となり「日いずる国」としての誇りを取り戻せるでしょう。その結果、世界は「日本は3.11から、新しい未来を作った。」と歴史に刻み、成長した3.11の赤ん坊達に希望に満ちた風景を見せられることになるでしょう。

未来の子供たちのために、第三の道を共に築いていきませんか?

2014年5月9日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介

注1:(出所)平成21年財政検証結果関連資料
注2:フェニキュア・・・現在のシリア・レバノン沿岸付近にフェニキア人が建てた都市国家群の総称。前8世紀以降、ギリシャの台頭によって衰退し、前64年、ローマに併合された。
注3:中間技術・・・発展途上国に技術移転を行うとき,その国に適合した技術体系を選択して移転させるという考え方。1965年ドイツのE.F.シューマッハーが近代科学技術体系に代替するものとして提唱したintermediate technologyの訳語。

会長メッセージ


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※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

 鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」「逸してはならない好機」を意味するようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。