「沈黙を強いる社会」(2016年11月11日)

「沈黙を強いる社会」

アメリカ合衆国大統領選挙が11月8日に開票され、新たな次期大統領候補が決定しました。
しかし、全世界の今後に強い影響を与えるであろう、この大国のリーダーを決定する選挙戦で、流れてくるニュースは、誹謗中傷合戦のネガティヴキャンペーンばかりでした。

翻って、我が国はどうでしょう。
60年前、熊本県水俣市で「公害の原点」とも呼ばれるメチル水銀中毒症の水俣病が公式確認されました。
当初、水俣病は原因不明の特異な神経疾患として、不知火地方の奇病とされていました。この病の特徴は、手足のしびれからはじまり、言語障害、うまく歩けなくなる等の運動失調と続き、次第に手足が変形し、死に至るというものです。「声が出せなくなる。活動が出来なくなる。」という、近代社会が生み出した負の側面を象徴するような現象でした。

当初奇病として扱われていたため、都会に働きに出たり親戚を頼って他の土地に移動した後も「ご出身は?」という問いに「九州です。」と答えざるを得なかった、というお話を今でもよく伺います。故郷を自ら否定しなければならなかった彼らの胸中は計り知れません。
かつて原子爆弾の投下によって被曝を経験した広島県や長崎県の人達も、同様の経験をした事でしょう。そして、水俣病の公式確認から50年以上を経た、東日本大震災の原発事故で汚染された福島県の人達も、やはり同じような辛い思いを経験されたとお聞きします。
さらに、出身地や国籍、出自等により謂れのない差別を受けている人々や、感染症の患者家族、あるいは親族に犯罪者や自殺者を持つ人々なども、様々なネガティヴな社会的同調圧力を感じ、声を出せなくなっているのではないでしょうか。

今日、LGBT差別や民族差別のヘイトスピーチにおいて、法律さえ守れば良いと言う論理と言論の自由の名の元で、あらぬ誹謗中傷をSNS上やネット動画、集会・デモ等を通じて発信し、少数派や弱者に対して「沈黙を強いる」風潮が強まっています。その拡散力、影響力の強さは暴力的であり、対象者の言葉はもとより、生活も、家族も、時に命さえも容易に奪い去ります。

かつて、水俣病を取材した写真家のユージン・スミス氏は「法律さえ守れば社会的責任を果たしている という倫理観が『公害』を引き起こすのである。」という心に突き刺さる言葉を残しました。

今まさに、人の心をコントロールする管理社会が出現し、暴力性を帯びた同調圧力で少数派や弱者の声を、自由を奪っています。ネガティヴキャンペーンをプロパガンダとして社会的多数派工作をし、社会的同調圧力を発生させ、弱者を作り出し、民主主義を利用して、安定社会という名の暴力的管理社会を作り出す近代の闇が広がっています。この現象は、近代文明が本質的に持っている宿痾(しゅくあ)のようなものかもしれません。

近代は「人間の尊厳の具現化」を理想とした時代であり、科学の文明であり、個人の社会であり、法律の元に平等であるという世界を生み出しました。
その結果、世界の全ての事象が、スペックの優劣によって「価値がある、価値がない」の判定を受けるようになり、その判定が合法の名の元に社会的多数派を形成して同調圧力を実行することで、スペックに瑕疵がある、若しくは、あるかもしれないと不安を感じた人々は、低劣に分類されるのを恐れ「沈黙を自ら強いる」ようになったのです。

しかし、
性格や能力に欠点のない人間などいるでしょうか?
人生において、社会に迷惑をかけるという瑕疵を持っていない人間がこの世に存在するのでしょうか?

私は絶対にいないと思います。
なぜならば、それだけ人間は弱く情けなく、孤独を嫌がる生物であるからです。

日本で最初の環境問題ともいわれる足尾銅山鉱毒事件で立ち上がった田中正造氏は「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。」と言っています。

人々は、当初理想とした「人間らしくありたい。『私は私です』という個人を認めて欲しい」といった人間の尊厳を守る社会ではなく、いつの間にか、管理社会に都合のいい社会的同調圧力を増幅させて「沈黙を強いる社会」を作り出してしまいました。人々はこれを自覚することなく、むしろ安全な立ち位置から加担して、少しでも人より優位なポジションを維持することに専念しています。
物質的に豊かな先進国における若者の死因トップが自殺であるこの社会は、田中正造氏の言葉を借りると真の文明ではありません。

今こそ、近代文明の闇が広がるのを防ぎ、自覚した者達から暴力性を脱して、人間らしく振る舞える「沈黙を強いない社会」を実現する新たな文明を建設しなければなりません。
さらには、人間のみの尊厳を守る時代からすべての生命の尊厳を守る時代を目指して、生態系のように人間や自然の生命が共存出来る、共存経済社会に向けて行動を起こさなければなりません。口を閉ざすことなく、高らかに声を上げて。


2016年11月11日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介

会長メッセージ


amita15.jpg

※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

 鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。 雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味する ようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。