「故郷(ふるさと)は風化するのか?―震災から8年の今"地域"と"豊かさ"を考える」③

故郷(ふるさと)の未来とは

熊野:今、お二人が考える故郷(ふるさと)の"豊かさ"とは何でしょうか?

相馬さん:震災があって、私たちを生かしてくれたと感じているものは、自然、そして地域の人々や子どもたちの強さ、生きる力です。そういうものを大事にした未来をつくりたい。

震災を経て、これからの「近代」、すなわち「近未来」というもののイメージが、空飛ぶ車やスマートシティといった、工業的なものではなくなりました。そこにはロボットもいるかも知れませんが、むしろ自然の恵みをつかったエネルギーを個人がもっと気軽に使えるようなイメージ。着るものや日常で使うものは「近代」のものかもしれないが、生活感は300年前。そんな未来をつくりたい。

今、たとえば電車に乗って駅で降りても、どの街についたか分からないことがありませんか?どこも同じような風景で。そういう地域にはしたくないですね。お上(国)は平等に支援しなければならない立場なので、個別的な支援はできません。そこは各々の地域が取り組まないといけない。国にはそれをサポートしてもらうだけだと思います。

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高橋さん:「域内循環」とか「内発的発展」という言葉は、これまでもよく使われてきましたが、今、一人ひとりがそれを「感じる」ことができる地域になればいいなと思います。地域で作られたものの贈り合いが、お金として回っている、そんな地域に。そのためにはもっと、作り手にも(自分が作ったものの)価値を感じてほしい。今は、米なら米、蜂蜜なら蜂蜜、と各々の分野での優劣を見て、価値判断をしてしまう。でも本当は、それがまず"域内のもの"であることに、価値があると思っています。

熊野:近代社会が出来てから、たった250年です。近代とそれ以前の時代は、何が違うと思いますか?地下資源に手を入れたのが近代なんです。それまでは地上資源、つまり地球が生みだす利子で生きていた。それなのに、地球の元本に手を付けた。その結果、250年間で世界の人口が65億人も増えた。人間が増えて色々な問題が起きているのではなく"元本に手を付けた"ということが問題の大きな原因だと思います。今「サーキュラー・エコノミー」という概念が、広まってきています。これはもう一度「地上資源だけで豊かになりましょう」という考え方で、EUから世界全体へと浸透しています。近代以前の日本は、そういう方法で豊かな社会を維持してきました。

効率性を求めた近代が疎かにしてきた自然と人間関係を、もう一度資本として、地域内で循環させていくことが必要だと思います。安いものを域外で買うより、多少高くても域内のものを買う方が、地域内で経済が回るので、また別の形お金や恩恵が回ってきて、結果的に暮らしやすくなる。たとえば、南相馬のレストランで相馬さんが2万円の食事をする、そのレストランが1万5千円支払って地域の農作物を買う、その作り手の農家が地元の資材店で1万円を使う...となると、元手が2万円でも、全体では合計4万5千円、元手の倍以上の経済効果が生まれます。こういった乗数効果をつくり出すことで、地域全体で豊かさを増幅させることができます。

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高橋さん:今、この地域の復興に取り組んでいる若者たちも、そういった考え方で「仕事」をしています。

熊野:今はインターネットもあって、地縁血縁だけでなく、職縁のつながりを広げていくことができます。若い人の取り組みを、ここの年配の人たちは受け入れているのですか?

高橋さん:何もしません。これまでは"地域の秩序の中で物事を進めていこう"というのがこの町の在り方だったと思います。でも震災があって、その秩序が機能しないことを知った。震災後の1〜2年間、2013年ぐらいまでの間に、自分たちで地域を何とかするんだと、様々な活動が立ち上がりました。その経験から"自分たちでやれる"ということを知った。その時に始めた活動の幾つかは、今も続いています。それまでは「新しいことをやればきっと潰される」と思っていた。

震災や原発事故によって、仕事がなくなった人が沢山いました。そうすると例えば、男の人たちは木工を始めた。テーブルや本棚を始めたんです。同時に、ものを作るという喜びも味わっていました。蜂蜜や菜種油何かも同じです。経済の立ち上がり、原点ってこういうものなんだ、と知りました。

「これだけの儲けを得たい。ではどのくらい作ればいいか」という考え方をするのが今の社会です。でも「まずは作る。そして、これを循環させるにはどのくらいで売ろうかと考える。」というのが、本来の経済の流れではないかと思いました。まずは、丁寧につくる。すると価値が認められて、地域に根付いていく。同時に"丁寧に作られたものだ"ということを、感じられる人が増えてくる。それを一つずつ実践していく。

そうした関係の中で経済がまわることが、豊かさだと思います。そうして作られたものの価値に気づける人が増えてほしい。自分のふるさとで採れたもので生きることの大切さ。経済のエキスパートがいるなら、そういうことを発信して、気づかせる、根付かせる支援をしてほしいです。そして作り手には、採れるまで、出来上がるまでの時間を大事にしてほしい。

熊野:この地域の言葉で言うと「までい(丁寧)な関係を形にする」ということですね。相馬さんはいかがですか?

相馬さん:私には、やはり原発というものを作らせてしまった、という負い目があります。今取り残されている浪江町や双葉町にも仕事があれば、原発などいらなかったのに...と。自分たちの地域(南相馬市)のことしか考えていなかったのだと。本当に故郷(ふるさと)に申し訳ないことをした。

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この地域の元々の基幹産業は、一次産業だったんです。海に行けば何百魚種も採れる、山にも食べ物がある、米もある。貨幣経済がなかった時代は、相馬の土地の恩恵を受けて、豊かに暮らしていたのだと思います。それらが失われてしまう、豊かな故郷には戻れないのでは、という恐怖が、2011年に生じました。でも、ああいった事故を経験したからこそ「自然と人間の共生」「効率性より関係性」といったことを世界で最も、主張できる地域だと思っています。この地域だからこそ、そういったメッセージを無理なく発信できる。僕たちが伝えるべきことは、ローカルに生きることの豊かさ、新しい循環経済です。ここから新しく生まれてきた社会を発信することが、私達の故郷の役割だと感じています。

熊野:これからの社会で関係性を紡いでいくもう1つのポイントは「身体的な記憶」だと思います。この地域では馬追や、今回お伺いした陸稲づくりなどのご活動を通して、既にそのことを実践されています。自然や人が関わり合いながら生きていく、文化圏としての活動が「故郷(ふるさと)」を紡いでいる。その一部は、震災から8年かけて、皆さんが復興してこられたのだと思います。

お二人のお話には、これから私たちの社会が目指すべき"豊かさ"のヒントが詰まっていました。風化させていくべきものは「故郷(ふるさと)」ではなく「強さ」を誇る近代の価値観ではないでしょうか。


<鼎談者>

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● 高橋 美加子さん 

(株)北洋舎クリーニング 代表取締役、まなびあい南相馬 代表

地域の記憶を掘り起こす"聞き書き活動"、親と子の心と体の解放のワークショップ、市民と行政の協働意識の醸成を目指すファシリテーションワークショップ等の実施を通して、心の復興活動を行う「まなびあい南相馬」の活動を中心に、住民が主体的に暮らしを再構築するためのきっかけづくりに取り組んでいる。

● 相馬 行胤さん 

NPO法人相馬救援隊理事長、相馬家34代目当主

3.11における地域支援活動を経て、復興からの創生を目指し、相馬双葉地方の歴史・文化的シンボルである「馬」を中心に伝統行事である相馬野馬追の継承や引退馬支援事業をはじめ、故郷の文化や美しい自然、先人達の想いを次世代に継ぐべく活動している。2013年3月から広島県神石高原町在住。

● 熊野 英介 :アミタホールディングス(株) 代表


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■2019年連載「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」

アミタホールディングス株式会社の代表取締役である熊野英介のメッセージを、動画やテキストで掲載しています。2019年度啐啄同時は「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」をテーマに、「誰一人取り残さない」持続可能な未来創造に取り組まれている方々との対談をお送りしてまいります。

「啐啄同時」連載一覧


■代表 熊野の書籍『思考するカンパニー』

2013年3月11日より、代表 熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味するようになった。

このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。