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未来デザイン談義 -ドミニク・チェン博士×熊野 英介 編- vol.2

ドミニク・チェン博士(早稲田大学文化構想学部 准教授)との対談(全4回)、vol.2です。
今回は、近代社会の礎である「個人」という概念を捉え直し、テクノロジーとしての言語が人や社会に与える影響を踏まえた上で、これからの未来デザインについて語り合いました(対談日:2020326日)。

個という概念 ・ 我と我々

熊野:前回ウェルビーイングのお話が出ましたが、幸福観を考える上で、自己の中の他者、というのは非常に重要なポイントです。日本語では「我(私)」、「ワレ(あなた)」、「我々(私たち)」と言いますよね。多国語と比較して、1人称や2人称も多い。日本では「自我拡張」ではなく「自己拡張」、つまり"私のことをわかってくれ"と自己主張するより "いかに他者を自らに取り込めるか"を、人間的な成長と捉えます。
そもそも人類のルーツは、狩猟採集民族。移動生活を基本とし、所有するものは最低限でした。幸福観についても「我々は、不幸でない。よって、我は不幸でない。」という、関係性に重きを置いたものだったのではないのでしょうか。

しかし社会の発展と共に、穀物や金銭といった富の貯蓄が始まり、所有欲が幸福観に繋がるようになります。
19世紀以降は、近代国家の原理とされた「最大多数の最大幸福」という考え方を基に、個人主義と大量生産・大量消費が加速します。
同時に、グローバル化と共に複雑化・極大化する社会システムにより、人々の社会への当事者意識は薄れてしまった。

現代では、個人の物質的豊かさや、自分や家族の安全・安定が得やすくなった一方、社会全体としては課題が溢れ、本当の意味で"幸せな社会"とは言い切ることは難しい。「我は、幸せである。しかし、我々は不幸である。」というように、個人と社会との幸福観が分離してしまっています。

ドミニク氏:現代のコミュニケーションの主要なツールであるSNSも「個」の集合体としての場に留まっています。「個」同士が重なるようには設計されていない。そのため、自ずと個々の差異が可視化される。可視化されると、人はそれを常態と認識するようになり、結果として、対立構造も可視化されてしまいます。

私は研究の中で、能楽師の安田登先生から教えていただいた「共話(言葉を互いにリレーしながら会話を協調的に進めていく会話方法)」という行為に注目しています。これについて興味深いエピソードがあるんです。

日本語教育学者の水谷信子先生という方が、来日した外国人がどのように日本語を習得しているか、という研究をされています。そこで分かったことの1つが、日本語が上手くなる外国人の特徴は「共話ができる」ことらしいのです。試験の得点や、文法の習得度ではない。相手に相槌を打たせる間を持たせたり、反対に自分が打ったり、未完成のセンテンスをそのまま渡すことができる、ということです。「今日の天気ってさぁ」「うん、気持ちいいよね。」という他愛のない会話のように。

反対に、私はこうした「共話」を英語やフランス語で試みたことがありますが、上手くいきませんでした。アメリカなんかでは、言葉を言い切らずに終えたり、相手に続きを渡すような話し方をすると、"自分の意見をしっかり主張しろ"と怒られます。「稚拙な話し方」と捉えられるんです。

S__21463076_4.jpgのサムネイル画像熊野:なるほど。日本語はオノマトペが世界一多いと言われていますし、非常に感覚的ですね。

ドミニク氏:相槌も含めて、日本語は言葉を通してじゃれあう、言葉でスキンシップをはかる感覚が強いのでしょうね。一方、英語やフランス語では例え親子間でも主語は省けませんが、代わりにフィジカル(身体)なスキンシップを取りますね。日常的にハグをしたり、キスをしたり。

だから、使う言語によって心の作用も異なるのです。心は、同じ言語の中でも、どのような語彙を使うかによってさえ影響される。言葉をメディアとして捉えた時、テクノロジーについても同様のことが考えられるようになります。PCとスマートフォンでは書く文章のテイストが変わるように、メディア・テクノロジーの違いによって現れる情報の形も変わる。だから、言語をひとつのテクノロジーとして見た時、我々の心も、どの言語を使うかによって形を変えている。私も英語で仕事している時と日本語でしている時では、多少人格が違っている自覚があります。

熊野:それに、外来語もそのまま取り入れます。

ドミニク氏:最近では"オーバーシュート"して"ロックダウン"などを日本語で良く耳にします(笑)。

熊野:使ってはいるけれど、その意味は考えません、みたいな(笑)。

「個人」という概念も、元は西ヨーロッパから来たものです。神に対する「個人」という宗教的な概念です。西欧ではこうした共通意識の中で「市民」という概念が生まれました。ある種、郷土的なものなんですね。そのためアフリカやアジア、南米などでは「市民」という概念を、頭では認識していても、根本的には理解できていないのではないでしょうか。人類が共通して持っているのは、共同体として説明を省くことができる関係性だと思います。

ドミニク氏:そうですね。関連して面白い話があります。文化人類学者の木村大治先生が「共在感覚」というテーマで取り組まれたフィールドスタディで明らかになったものです。

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例えば日本人の場合、空間的に区切られている隣の家の人とは、分離した感覚で生活しています。しかしザイール(現・コンゴ)のボンガンド族の人々は、半径150m以内くらいの人とは、たとえ互いが家の中にいようと「一緒にいる」という感覚があるそうなんです。実際に村の中を歩いていると100m越しに会話したりする。道を歩いていると、遠くの方から大声で「おい、お前はどう思う?!」と声が掛かる。すると、相手も即答してくる。なぜなら常に一緒にいる感覚があるから、答える構えがあるんです。

また、カメルーンのある狩猟採集民は、集会で会話を楽しむときに、一斉にわーっと話しだして発話が重なり合っても、逆に10分くらい全員が沈黙する間があっても、全く気にしない。時には2人や3人と同時に話したりもする。

いずれの部族も、我々の「個」という感覚とはかなり異なる感覚を持っていると思います。先進国で当たり前のようになっている「個人」という概念が、普遍的な価値観ではないということです。

熊野:非常に共感します。そう遠くない未来で、近代の「個人」を前提としたシステムは立ち行かなくなることが予想されます。その時、無数の「個」の集合体という管理社会、情報による全体主義にシフトするのか。そうではない未来を目指すのか。今一度、人間の尊厳を置き直す時期にあると思います。

ドミニク氏:とはいえ、私たちはこれまで近代的な「個人」という概念を前提に、教育され自立を促されてきました。今更「個」という概念を否定して、シェイクスピア以前や楔形文字時代の感覚を取り戻すことはできません。一般に、時系列を分断して"昔の方が今よりいい"とか、その逆を考えることは、難しいと思っています。「個人」という考えを経由した上で、その先に「我」ではなく「我々」という感覚をどう取り込むか。個としての「我」と、「我々」としてのアイデンティティをどう結合させるか、を考えていく必要があります。

未来のデザイン

熊野:今先生が仰った方法論を実装するのが、私たちアミタの仕事です。

人は不安を敏感にキャッチし、その拠り所として過去の事例を引き合いに出してしまいがちです。しかし、これからは過去に答えを求めることはできません。前提条件が違いすぎる。

今、地球上には約77億人が住んでいる。そして我々は、感染症や気候変動、天変地異といった様々な危機が重なり合う、未曾有の時代を迎えています。人類は何十億年かけて蓄積された地球の元本である地下資源を、たった250年余りで掘り返し、消費し続けてきました。結果、例えば電子部品の接続材料に使われている銅は、あと40年もすればなくなると言われています。こうした地下資源の枯渇が世界的紛争に発展する可能性も大いにあります。

ドミニク氏:過去の方法論では安心できる未来をつくることはできないですね。

熊野:この問題に対する私の答えが、先ほど少しお話しした、生態系に学ぶ新しい未来デザインです。

具体的な取り組みの一つが、社会的動機性を原動力とした持続可能な地域創りです。

ikoma_ict_3.png住民が回収拠点である「ステーション」にごみを持ち寄り、リサイクルできるように分別するんです。出したごみの種類と量はICTで自動計測され「感謝ポイント」が貰える。感謝ポイントは地元の共有資産のためにも使えるし、ほかの住民が不要になったリユース品と交換もできる。するとそこにコミュニティが生まれ、人々が集まり、自然発生的に市場(いちば)が立ち、人と資源とお金と思いやりが回り始めるんです。これは決して特殊なケースではない、異なる自治体で実証実験しても、同じなんです。

このステーションで「延べ参加人数」「滞在時間」「分別量」「分別品質」「消費情報」の5つの指標を計測し、定量化をします。すると「地域や自然のために何かしたい」という社会的動機性で成立する市場のポテンシャルを測ることができると考えています。

今はまだ仮説実証の段階ですが、投票行動よりも消費行動によって新しい経済システムを生み出せるよう、速度を上げて取り組んでいきたいと思っています。

ドミニク氏:面白いですね。私は最近では、自宅を拠点に、隣近所の人たちとの間でウェルビーイングの実証がしたいと考えています。生活をしながら実践していくことで初めて、自己と他者がつながるのだと思います。それはまさに、対象に参与して「我」と「我」が「我々」になっていくことへの試みです。そうして創り上げていく過程での個々の関わりが、多様性というものを生み出していくのではないでしょうか。

次回へ続く

次回は、21世紀の科学的態度とは?という問いや、自発性をキーワードとした社会実験をヒントに、より具体的な未来デザイン像を語り合います(vol.3:6月8日公開予定)。

※アミタでは地域課題の統合的解決および持続可能な地域づくりに向けて、2017~2018年 宮城県南三陸町、2019~2020年 奈良県生駒市にて、この「ステーション」の設置・運営を中心とした実証実験を実施しました。

対談者

ドミニク・チェン氏

博士(学際情報学)。株式会社ディヴィデュアル共同創業者、早稲田大学文化構想学部准教授、NPO法人コモンスフィア、NPO法人soar、公益財団法人Well-being for Planet Earth理事。
デジタル・ウェルビーイングの観点から、人間社会とテクノロジーのよりよい関係性の在り方を学際的に研究している。近著に『未来をつくる言葉わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)。21_21 DESIGN SIGHTの次期企画展『トランスレーションズ展「わかりあえなさ」をわかりあおう』の展示ディレクターを務める。

参考図書

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