Human Co-becoming─人間は他者との関係性の中でこそ存在できる─(後編)

産業革命以降、世界は西洋由来の哲学を軸に発展してきました。自然を道具とみなす人間中心主義、個人の自律、経済的発展がもたらす豊かさ──。私たちが日ごろ、当然の前提として受け入れている社会の価値観は、果たしてどこまでゆるぎないものなのか。当社代表取締役会長・熊野英介が、哲学の歴史を振り返り、その在り方を根底から研究する哲学者・中島隆博氏と対談。人間社会の在り様を、根本から問い直しました。
(対談日:2025年10月9日)
<前編はこちら>
目次
- AIが担う「理性・知性」の外側に、人間の創造領域が広がっている
- エステティックな規範「礼」を復権させて、関係性の中で生きる
- 超長寿時代で「豊かに生きる」「豊かに死ぬ」とは?
- 創業の出発点は「社会の無関心を関心にして返す」
- つながるほど安定し、価値が生まれるサーキュラーソサエティ
- 人間中心主義を問い直し、存在を周縁化するために
- 近代の主権は誰にある?主権のパルタージュ(分割・分有)という提案
AIが担う「理性・知性」の外側に、人間の創造領域が広がっている
熊野:2025年、私にとって最も大きなインパクトは 生成AIの進化でした。春頃からAIが「エージェント化」し、推論ができるようになった。そして8月には ChatGPT 5が登場し、複数のエージェント同士が連携し合う「マルチエージェント」の時代が始まった。多くの人にとってのインターフェースはスマートフォンですが、その裏側では複数のエージェントが会話しながら処理をしている。
AIに問いを投げかけると、エージェント同士が協調する世界では、時間とコストを下げるために、対立を生まない選択が自然と選ばれていくはずです。結果、おのずから信頼と共感が軸となる社会に向かっていく──。私はそんな未来を想定しています。いわば新しい形の「見えざる手」ですね。先生はどうお考えですか。
中島氏:AIは私たち人間にとって、決定的に重要な存在になってきました。京都大学の哲学者・出口康夫先生は『AI親友論』という著書で「AI は共に冒険していく相棒=親友のような存在だ」と説きました。
僕は、一方では「そうかもしれない」と思いながら、他方では「どうなんだろう」と、非常にアンビバレントな気持ちになっています。
現代ではAIと結婚する人もいますし、AIとのチャットの末に自殺したベルギー人の事例もありました。こうした現象には、人間の根源的な「社会性」の投影が関わっているのではないでしょうか。
例えばペットを飼っている人は、犬や猫を家族のように感じますが、野良犬や野良猫には同じ感情を抱きません。でもその両者は本質的にはほとんど変わらない。自分の気持ちを投影するからこそペットが特別に見えるわけです。AIにも同じ仕組みが働いている気がします。
出口先生が「親友」と呼ぶのは、人間側からの投影です。しかし AIは決して人間を親友とは思っていない。ChatGPT はきれいな文章を出しますが、その「意味」を理解しているわけではないのです。しかし人間はその文章に意味を見出してしまう。この非対称性こそが本質であり、AI がどれだけ発展しても変わらない事実でしょう。
熊野:なるほど。その点である意味、AIと人間のすみ分けが整うかもしれません。知性や理性のように形式化しやすいものは AI にどんどん吸収されていく。一方で、「感性」「良心」「心が痛む」「罰が当たる気がする」といった、他者との間に"心"が存在する領域には AIは入り込めない。
AI が膨大な知識を吸収し続けたら、最終的には誰が質問してもほとんど同じ答えしか返ってこなくなるとも言われていますが、AIが知性・理性を整理する道具として成立したとき、その外側にある感性の領域、「美」「感性」「霊性」こそが、人間の創造の領域になってくると思うのです。
中島氏:おっしゃる通りで、人間が人間である領域が、AI の登場によって逆に明らかになってきたのではないでしょうか。
熊野:極端に言えば、「その話、AIも言ってたよ」と言われたら終わりですからね(笑)
中島氏:本当にそうです(笑)「じゃあ AIに聞けば?」で終わってしまう。だからこそ、AI では語れない領域こそが、今まさに問われているのだと思います。AIとは、結局うまく付き合っていくしかないのですが、特に教育関係者の中には、小さな子どもにとってAIは有害だと考える人もけっこう多いです。
熊野:確かに、中島先生が青春時代に「この世界の本質は一体なんだ?」とひとつの命題に向き合いながら、哲学の本をむさぼるように読んだように、自分なりの知恵へと編集していくプロセスは非常に大事です。でも、小さいころからAIを使い始めると、その過程が失われてしまうかもしれない。
中島氏:そうなんですよね。AIの難しさは、自分の望むような答えを与えてくれる点なのです。AIがしないのは「問い返す」、つまり「反問すること」です。人間同士なら「それってどうなの?」「本当にそう?」というやり取りがありますよね。でもAIにはそれがなく、必ず何かしら肯定的な答えを返してくる。そうすると、自分の意見を強化するだけのエコーチェンバー(SNSなどで自分と似た意見を持つ人々と交流することでその考えがより強固になる現象)に入ってしまう危険があります。
熊野:企業でAIを活用する時も、結局は「標準化の罠」に陥りやすい。AIの「世の中ではこれが最適です」という提案に従えば、レッドオーシャンに飛び込んで負け試合に参加するようなものなんです。同時に猛烈な勢いで世界がツルンと均質化してしまう可能性もある。
格差が減り、一見平等な社会に見えるかもしれませんが、それを裏で支配する「王」のような存在に例えばAI提供企業がなるかもしれない......。そんな危機感もあるんです。AIに使われるのではなく、また、AIを道具としてただ使うのでもなく、AIを社会的装置として捉え、意志をもって活用することが大事なんだと感じています。
関係性が連続する複雑系の世界で、対立やぶつかり合いもあるけれど、そこから新しいクリエイションが生まれる。そうした社会にこそ、人間らしさが残るのではないかと、私は思っています。
エステティックな規範「礼」を復権させて、関係性の中で生きる
熊野:ここまで複雑化し、巨大化した社会の仕組みを整えていくには、生態系のように「みんな主役でみんな脇役」であり、関係そのものが環境を形づくっていくという発想が欠かせません。まさに、先生が提唱されているHuman Co-becomingを自覚する社会が必要だと感じています。
私たちは今、そうした社会の始まりに向かうのか、それとも不安に呑まれて安定だけを求める社会に戻るのか、その岐路にいると思っています。だからこそ、私は事業家として、エコシステム社会の構築に全力で取り組んでいるんです。
最終的には、自然や生命の摂理といった原理原則を学びながら、変化が変化を生み、常に最適解を作り続けていく「動的平衡」が必要なのではないでしょうか。
中島氏:「動的平衡」、福岡伸一先生の言葉ですね。
社会の在り方を考える時に、先ほど熊野さんの発言でも登場した「複雑系」という視点は、非常に重要なポイントだと思います。複雑なものを単純化して閉じこめ、安定化しようとするのは、あまりよいやり方ではありません。複雑系というのは、私たちの行動がそのまま作用として返ってくる構造を持っています。だから、私たちがよい仕方で関与すれば、複雑系そのものがよい方向に進む可能性が高まる。
結局問われているのは、「どう関与するか」ということです。「よく生きる」という言葉がありますが、この「よく」という副詞が大事なんです。名詞のように「よさ」というものが一つ決まっていて、それを適用すればいい、という話ではない。動的平衡という言葉にも通じますが、プロセスの中に自分が入り込み、努力し続けること。それこそが「よく」だと私は考えます。その関与によって複雑系が変容し、良い方向に向かっていく。今求められているのは、そういう姿勢だと思います。
熊野:私は、日本人が軍国主義を経て自由を得たと言われる一方で、一番失ったのは「美意識」だと思っています。みっともなく生きるくらいなら生きる意味がない、弱い者を守れないのは恥だ──そうした美の感覚が戦後に失われ、勝てば官軍という考え方になってしまった。先生の言う「よく生きる」という"よく"は、「美しく生きる」「恥じない生き方をする」という感覚に近いのでしょうか。
中島氏:ええ、おっしゃる通りだと思います。今「美しい」という表現を使われましたが、中国語の「美」という言葉はもともと「立派」「恰好いい」という意味です。その「恰好よさ」こそが大切なのです。
Human Co-becomingでは、他者とともに人間的になっていくことを提唱していますが、その時の手がかりになるのが、中国哲学でいう「礼」なんです。英語ではリチュアル(儀礼)と訳されますが、単なる儀式ではなく、私たちの生き方を整える美的な規範、エステティックな基準です。つまり、恰好よさを提示してくれる規範。それが礼です。だからこそ、現代において礼を復権させることが、大事なんじゃないかと思いますね。
熊野:立命館大学の本郷真紹先生と話した際にも同じ話がありました。儒教の「仁・義・礼・智・信」という五常の中で、礼だけは「他者」がいなければ成立しないと。今伺った話と見事に一致しました。
超長寿時代で「豊かに生きる」「豊かに死ぬ」とは?
熊野:人類はこれから、歴史上初めての「超長寿社会」を経験します。国は「豊かに生きる」ことを掲げていますが、僕はちょっと違うのかなと思っていて。「豊かに生きる」と表現すると、お金や地位、名声などの形式知に囚われてしまうと思うんです。
パンデミックや3.11の大災害で、誰に対しても死は平等に訪れましたよね。だからこそ僕は「豊かに死ぬ」とは何かを考えるべきではないかと思っています。そして「豊かな死」についてイメージすると、瞬間・瞬間の「関係性の最適解」しか浮かばないんですよ。どれだけ人や自然との関係を真剣に結んだかが大切で、お金はあくまでその手段であり、それ以上は目的にならない。
生態系の中で、代謝し続ける存在として生きる生死観が、とても重要な視点だと思うのですが、先生はどうお考えですか。
中島氏:老いと死の問題は、改めて考えるべきテーマだと思っています。現代は、特にアメリカ的な価値観の影響もあり、老いを否定する傾向が非常に強いじゃないですか。「若さこそ価値だ」と考え、体を鍛える努力を勧める。もちろんそれも一つの考え方ですが、老いを別の観点から見ることも大切だと思うんですね。
かつては「老い」と「成熟・円熟」は重ねて考えられていましたが、ある時期から、成熟や円熟は意味がないとして切り捨てられるようになってしまった。でも僕は、それは違うと思うんです。そこには、さきほどおっしゃったような「よく生きる」、あるいは「美しい生き方」といった、礼に基づく「恰好よさ」の感覚が関わっている。そこに繋がっていくのかなと思います。
熊野:僕は、文化性を理解できることが、今後の成熟度を示すバロメーターになっていくと思うんです。どういうことかというと、人々が制約条件の中で最適なパフォーマンスを発揮しようとすると、民族衣装や民族料理のように、価値が文化性を帯びていく。だから、地球全体が大きな制約条件を抱えるこれからの時代の最適解は、原価計算では測れない「無形性」を伴うのではないかと。「この価値観が分かるか?」「この"侘び"が分からないと旨い茶は飲めないぞ」と言われるような感覚です(笑)。
またこれから、ブロックチェーンなどITの発達によって、あらゆるモノに情報が付随する時代がやってきます。貨幣でさえステーブルコインやデジタル通貨へと移行し、記号化された交換ツールになっていく。その貨幣に情報が付与されることで「この通貨を選ぶということは、あなたは環境リテラシーを重視する人なんですね」といった意味を帯びていくわけです。そうなると、無形性の価値を読み解くための成熟や円熟が、避けられない時代になる気がします。いかがでしょう。
中島氏:まさにその通りだと思います。先日台湾に行き、原住民の方々と対話をしましたが、彼らの判断の基準は「よさ」なんです。まさしく美的な規範と文化ががっちり結びついているんですね。私はそこで、その感覚の深さに驚かされました。これからの世界は、彼らの生きる世界に近づいていくのではないか。あるいは、近づかなければ人間は存続できないのではないか、とさえ感じました。
台湾南部の原住民、パイワン族の文化を伝える施設にて。
先史考古学とオーストロネシア語族に焦点を当てた博物館「台湾史前文化博物館」にて。
創業の出発点は「社会の無関心を関心にして返す」
熊野:少し、僕の生い立ちの話をしてもいいですか。僕は高度成長期が始まる頃に生まれたので、物心ついた頃にはニクソンショックや公害が問題化していて、1970年の大阪万博の華やかさの裏で、瀬戸内の遊び場が汚れていくのを知っていました。一方でベトナム戦争は泥沼化していて、日本は戦争の悲惨さを経験したのに、朝鮮特需やベトナム特需で景気がよいと喜んでいる。さらに高校時代、水俣病の写真に出会ったことで、高度成長の結果として公害が起きたのではなく、公害を無視したから、経済は成長したのだとも知りました。
戦争も公害も見て見ぬふりをして自由を謳歌する日本で、自分が大人になって加担するのがどうにも気持ち悪くて......。両親が離婚し祖母に育てられたこともあって、社会への反抗心も強かったんだと思います。当時はばあさんも手を焼いたと思いますが、そんなことばかり考えていたので、中島先生と同じく、私も哲学書をむさぼるように読んでいました。その中で2つの言葉に出会いました。
1つ目は、司馬遷の『史記』に出てくる唯一の商人、白圭(はくけい)の言葉です。彼は商いとは「余ったものを集めてきて、足りないところに持っていくこと」だと非常にシンプルに言っていました。もう1つは、マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉です。この2つの言葉から、20歳の頃の僕は「社会にあふれる無関心を集めて、関心に変えて社会に返せば、人はもっとまともになれる!」と思ったんです。その頃は世界の万有引力を見つけたと思い、友達に言いまわったりもしていましたが「お前の言ってることはよくわからん」と言われていましたね(笑)。私の事業は、そこから始まっているんですよ。
中島氏:とても貴重なお話で、考えさせられました。おっしゃる「無関心」というのは、自分には関係ないという「外部への無関心」だと思います。環境問題はその典型ですよね。「不要なものは捨ててしまえ、それは外部だから関係ない」という発想だった。ところが、だんだん外部だったはずの出来事が自分にも影響を与えてきて、無関心ではいられない状況になったのだと思います。その中で、社会や経済をどう再構築していくか、それが問われているんだろうなと。
オックスフォード大学の経済学者、コリン・メイヤーは「profit without harm(害なき利益)」という言い方をします。これまで利益は、外部に害を与えながら得られてきましたが、でももうそれはやめましょうと。害を与えず問題解決によって利益を上げる、それこそが真の利益だと表現しています。熊野さんの「無関心を関心に変える」事業は、まさにその実践だと感じました。
熊野:僕がこの仕事を始めたのは1979年ですが、その前年1978年は第2次オイルショックでした。「省エネ」という概念が出てきた時で、ものすごく自分の中で「あっ!」という衝撃が走ったんですよ。
それまでは、環境産業と言えば、公害を出している会社の系列のエンジニアリング会社が大気汚染や水質汚濁を改善する「マッチポンプ」のような構造だった。もしくは、鉄くずや古紙を回収する「寄せ屋さん」、今でいうリサイクル業でした。
そこへ省エネが登場したことで、「環境がプロダクトの内側に入り始めた」、つまり「産業の環境化」が始まったと思った。そこから、無関心を関心に変えるという想いを胸に、100%再資源化によって地下資源ではなく地上資源を生み出す事業を始めたんです。
近代の工業社会は地下資源を掘り、見込み大量生産で豊かさを拡大してきました。でも中世まで、人間は地上にある資源で暮らしていました。古代文明では、大規模化すると自滅するという歴史も繰り返されています。地下資源も寿命に近づき、天候も不安定で、お金さえ出せば小麦が実るわけでもない時代になる今、もう一度、人間の知恵に立ち返らないといけない。
私の想定では、これからの時代、原材料価格はどんどんインフレで高くなっていきます。しかし、ビジネスモデルを「商品をサービスとして使ってもらい、器は戻してもらう」かたちに転換すれば、循環コストと再生コストが市場でインフレ化した原材料費を下回った時点で、利益が生まれますよね。つまり「環境の内在化」が始まるんです。内在化した費用は、経費ではなく投資になります。そこに企業間での競争が生まれ、循環と再生が経済の中で加速していく。その展開に、私はすごく期待しているんですよ。特に日本に、その可能性を強く感じています。
このように、今あるものを最適化する「文化競争」の時代になれば、格差は生まれないと思うんです。原住民の文化と日本文化を比べても意味はないし、優劣ではなく、それぞれが凛々しい。今こそ、中島先生がおっしゃるHuman Co-becoming、つまり「あなたはどう存在しますか」という問いが重要になると思っています。
中島氏:非常に興味深いです。その「産業の環境化」という概念は、いつ頃発想されたんですか?
熊野:それは、1979年の創業以来です。
中島氏:それは、すごいですよ。ヨーロッパで「サーキュラーエコノミー」という概念が広まったとき、日本では「3R(リデュース・リユース・リサイクル)と何が違うのか」とよく聞かれましたが、決定的に違う。サーキュラーエコノミーは、社会システムそのものを変える考え方です。その発想をヨーロッパより先に持たれていたのは、本当に驚くべきことです。
つながるほど安定し、価値が生まれるサーキュラーソサエティ
熊野:ヨーロッパで語られるサーキュラーエコノミーは、2015年のパリ協定とSDGsの議論の中で生まれた概念ですが、中心になっているのは主に「マテリアル(素材)」の循環なんですよ。しかし、素材というのは熱が加わるたびに分子構造が壊れ、循環すればするほど品質は劣化していく。品質を補うには、結局新しい天然資源を足さなければならない。僕は、この点に西洋のサーキュラーエコノミーの限界を感じているんです。
でも日本は、金継ぎのように、劣化を「風合い」として喜ぶ文化がありますよね。ここには重要な文化性がある。だから本当のサーキュラーエコノミーとは、素材の循環だけではなく、社会全体における環境の内在化だと思うんです。
社会そのものの中にサーキュラーエコノミーを位置づける、サーキュラーソサエティの時代が来ていると思います。
中島氏:マテリアルの循環ではなく、社会の在り方そのものが循環型になる、ということですね。
熊野:そして、社会にかかるコストをどう配分するのかという問いに対しては、宇沢弘文さんが提唱した「社会的共通資本」の考え方があります。地域の人々が共同でインフラに出資し、運営し、利用する。そのために、中央集権型の政治でも市場の利益でもなく、地域が導き出す最適解を管理する仕組みとして、専門家による協議会が成立するのではないでしょうか。僕はその姿を見てみたいと思っています。
中島氏:フィデューシアリー(相手からの信頼を受けて、専門的なサービスを提供する人や組織)の考え方ですね。
熊野:それができてこそ、キリスト教圏外のアジアやアフリカの人々でも、西洋から始まった市民社会の民主主義を、自分たちの力でつくれるようになるんじゃないでしょうか。
中島氏:私が台湾の原住民地域を訪れたとき、強く感じたのは、まさにその点でした。民主主義は「参加と責任」だと言われますが、地方の住民が自分たちで出資し、意思決定し、困っている人を支えながら運営する仕組みが、すでに成立しているのです。日本は中央集権化が進みすぎて地方がもうガタガタですよね。政府が「地方創生」と言い続けても、一向にうまくいかない。その一方で台湾では、原住民の人たちの知恵で実際に運営できているわけですよ。台湾でできるなら、日本でもできるはずですよね。
熊野:台湾も日本も、島国という共通点があります。アジアのモンスーン気候では稲作漁労の文化が中心で、地域内の循環が価値になる。一方でヨーロッパや中国北部は畑作・牧畜で、土地を押さえた者が強い世界。価値観が違います。私たちには、つながりを重ねるほど安定し、価値が生まれるという文化的土壌がある。文字のない時代、漢字社会が生まれる前から、台湾の人々の知恵と日本人の知恵には共通点があったのではないか、そんな気がするんです。
中島氏:ええ。東南アジアやオーストラリアも同じで、原住民の話を聞くと、あの地域全体が「ネットワーク」を非常に強調しています。
熊野:そうなんですか。
中島氏:「単独では存在しない。南の島々や南東の地域ネットワークの中で生きている」という意識です。日本の地方も、中央省庁に「頑張れ」と言われて頑張るのではなく、連携し、ネットワークしながら進むべきだと思います。
人間中心主義を問い直し、存在を周縁化するために
熊野:人類史上初めての超長寿社会、AIの登場による電脳社会の形成、そして地球規模での制約条件の強化。まさに未曾有の局面に立っている今、先生が描く理想の社会像、そしてこれからの夢について、最後にお聞かせいただけますか。
中島氏:はい。私が主張しているHuman Co-becomingという概念について、改めてお話ししたいと思います。
日本語で「共生」という言葉がありますよね。中国語では「コンシェン」と訳されますが、この英語訳は、co-living(共に生きる)やco-existence(共存)ではなく、co-becoming(共に変化し続ける)なんです。これには驚きました。僕は、やっぱり本当の意味での共生、それが実現する世界が来るべきだと思います。
それは、人間同士だけの共生にとどまりません。人間と動植物、人間と環境、その共生を本気で考える必要があります。そのためには、近代以降の人間中心主義的な考え方を根底から見直さなければならない。
例えば、シカゴ大学の歴史学者ディペシュ・チャクラバルティは、もともと周縁化された人々を研究するサバルタン・スタディーズ(主に南アジアを対象に、権力構造から疎外された"サバルタン(従属的集団)"の視点から歴史を再解釈しようとする学術研究)の経験から「ヨーロッパを周縁化せよ」 と唱えていました。ところが近年、地球環境問題に取り組む中で、彼は「人間を周縁化せよ(marginalize humans)」と言い始めた。つまり、人間中心主義を問い直しているのです。私は、それはひとつの重要な視点だと思っています。
今、私たちは不安に駆られて所有欲に追われ、もうフラフラになっているわけですよね。でも不安とか孤独というのは一向に解消されない。そうではなく、互いに信頼し合い、高め合うような、ある種の「立派さ」や「かっこよさ」に向かっていく社会の仕組みが必要だと思うんです。
そして、ビジネスや企業活動もその上に成り立つべきですよね。さきほどコリン・メイヤー氏の主張を紹介しましたが、彼は「人を助ける、これが企業だ」とも言っています。
本来、人間は困っている人を助けたいと思う存在ですが、一人ではできないこともある。そんな時にこそ、企業の出番です。カンパニーの語源は「パンを共に食べる人々」ですから、企業とは共生する仲間であるべきです。そうした方向に社会が向かえば、資本主義の方向性も変わり、共生の精神も本当の意味で実現できると思っています。
熊野:第一次世界大戦、第二次世界大戦の時、多くの人はよもやあんな戦争が起きるとは思っていませんでした。人々はせっかく封建主義から脱して国民国家を作ったにもかかわらず、「やっぱり強い国が必要だ」「安定した企業が必要だ」と考えるようになり、ヨーロッパではナチスが台頭し、日本では軍国主義が広がった。
そして今、もう一度自分たちで社会を作らなければならない時代に立っています。しかし、近代が生み出した国家という仕組み自体が、行き詰まりつつあるのではないでしょうか。現在の経済の中心にある「金融」も、GAFAのような大手企業が動かす「情報」も、どちらが発展しても暮らしに還元される税収には結びつかない。金融資本も情報資本も十分に課税できない中で、国家の基盤は揺らいでいます。
そう考えると、先生がおっしゃる「パンを一緒に食べる仲間=カンパニー」、つまり目的を共有する人々が集まるネットワーク。そのネットワークこそが、これからの社会の大きな可能性になるのではないか、と私は思います。
中島氏:本当におっしゃる通りです。
近代の主権は誰にある?主権のパルタージュ(分割・分有)という提案
中島氏:私は、今問われているのは、近代における「主権」の問題だと思っています。特にトランプ氏の考え方には大きな誤解があると感じます。彼は主権を「国家主権」と捉えているようですが、戦前の日本でも見られたように、国家主権というのは近代初期の考え方にすぎません。本来、近代が問い続けてきたのは「国民主権」ですらなく「人民主権」なんです。
人民というのは、国家とは本質的に関係がない存在です。そもそも「主権」という概念は神学用語に由来していて、「至高の権利」を意味する、いわば神の権能のようなものです。私は、こうした存在論的な神学から離れなければならないと思っています。
人民主権という考え方は、ある意味で国家主権をひっくり返すものです。私はこの考えを「主権の分割」「主権の分有」と表現しています。そう考えると、地域同士が国境を超えて連帯したって構わないし、そこに企業が参加したっていいわけです。主権の問題に関しては、実際に国連でも議論が進んでいます。
熊野:国連で?
中島氏:ええ。国連では、国家が機能しなくなり、行き場を失った人々を保護する責任は国際社会にあるのではないか、と議論されています。ところが国家はしばしば「主権」を盾に介入を否定することがあります。でもそうじゃない。やっぱり見捨てちゃいけない。それは主権を超えてでもやらなきゃいけない。「主権の制限論」は、国連でずっと議論されているテーマです。
ただ私は、それだけではなく、もっと別の角度から、「主権の分割・分有」を考える必要があると思っています。日本でも沖縄が真剣にこの問題を考えましたよね。「琉球共和社会憲法」という試案が作られ、国ではなく地域連合のネットワークを構想しました。ああいう知恵を活かすべきだと思います。そして企業も、まさにそこに貢献できるのではないでしょうか。
フランス語で「パルタージュ(partage)」という言葉があります。これは「分け合う」と「分かち持つ」という二つの意味を持っています。主権の至高性を解き、他者と分有する。主権を1つだけのものとして捉えないということです。
熊野:なるほど。ますます、生命の原理に近いと感じます。
中島氏:そうだと思います。
熊野:最後に、と言いながら聞きたいことが多くてすみません(笑)
今、人類史上初めて「自らコミュニティを作れる時代」を迎えていると思うんです。地域コミュニティだけでなく、ネット上にもコミュニティが作れますし、仲間を集めれば会社も簡単に作れる時代です。重層的なコミュニティを自分の手でつくれる時代になり、そのネットワーク化はエコシステム、つまり生態系に近い機能を生むと感じています。中島先生も同じようなイメージをお持ちですか。
中島氏:あります、あります。人間は複数のレイヤーのコミュニティに属して生きるのが当然だと思います。地域でのつながり、企業でのつながりなど、複数のコミュニティでそれぞれの役割を果たしていく、そうした可能性があればよいと思います。
熊野:ものすごく共感します。今日はあっという間の2時間でまだまだ話し足りない思いです。またどこかでぜひ続編をよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。
中島氏:こちらこそありがとうございました。
対談者
中島隆博(なかじま たかひろ)氏
東京大学東洋文化研究所 教授
哲学者。1964年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学後、東京大学文学部助手等を経て、2014年から現職。専門は中国哲学、日本哲学、世界哲学。経団連総合政策研究所研究主幹として資本主義・民主主義に関しても研究を行う。主な著書に『中国哲学史』(中公新書、2022年)、『日本の近代思想を読みなおす1 哲学』(東京大学出版会、2023年)など。
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