抱樸とアミタが語る「希望の事業化」~人を機能ではなく物語として見る社会へ~

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豊かさを追い求めるほど、孤独や分断が深まっていく──そんな逆説の社会を、今私たちは生きています。「誰もが希望を持てる社会」は、どうすれば実現できるのか?
その問いに37年間向き合い続けてきたのが、「ひとりにしない」を理念に掲げる北九州のNPO法人 抱樸(ほうぼく)です。抱樸は、経済的困窮(ハウスレス)と社会的孤立(ホームレス)への伴走型支援を通じて、これまで3,900人以上の自立を支え、現在もおよそ1,000人をサポートしています。
2026年5月、「誰も取り残されない社会」の実現を目指し、抱樸とアミタグループは包括連携協定を締結。その具体的な取り組みの一つが、8月31日に竣工した地域と福祉が融合する複合型施設「希望のまち」(北九州市小倉北区)の持続的な運営を支える「百社中プロジェクト」です。この連携の根底にあるのは、「人を"機能"ではなく、関係性や物語を持つ存在として捉える」という視点です。誰かのための行動が、次の誰かの行動を生み続ける。そんな「希望の循環」を、社会の仕組みにできるのか。抱樸理事長・奥田知志氏と、当社代表取締役会長・熊野英介による対話から、その手がかりを探ります。
(対談日:2026年5月13日、東八幡キリスト教会にて)


目次

「頼ってもいいんだ」と思えたとき、人は尊厳を取り戻す

熊野:今日はよろしくお願いします。

私は、これまで奥田さんのお話を伺うなかで、いつも「人を機能や属性ではなく、一人の人間として見る」という姿勢に、私たちアミタが目指す社会づくりとの共通点を感じてきました。

奥田さんから学んだことはたくさんありますが、なかでも私の価値観が大きく揺さぶられたのは、奥田さんがさらりとおっしゃった「路上で出会った人たちは本当にすごかった」という言葉でした。

奥田氏:こちらこそよろしくお願いします。

そう、路上で出会う彼らは本当にすごいと思います。この37年間、路上の人たちや行き場のない若者たちと出会って、表現は悪いかもしれませんがとても面白かったんです。人間って素敵だなと思うし、例えば野宿生活を10年間続けるということも、すさまじくすごいことなんですよ。

熊野:私はそこに、大きな衝撃を受けました。社会は路上生活者を、「かわいそうな支援の対象」と見たり、「生産性のない人」と評価したりしがちです。でも奥田さんは、その10年間を「凄み」として受け止められた。その視点の違いが、とても印象に残りました。

今日は建設中の「希望のまち」の現場も案内していただきました。路上で誰からも関心を持たれなかった人が「おいでよ」と迎えられ、安心して眠り、風呂に入り、食事をする。しかもそれを一人で完結させるのではなく、「お湯加減どう?」と声をかけられる。そんな関係性が見える設計になっていました。自分に関心を向けてくれる人がいなかった世界から、「こんなに頼ってもいいんだ」と感じられたとき、人は尊厳を取り戻すと思います。その尊厳を具体的な形で体現されている抱樸さんに、改めて感動しました。

奥田氏:そう言っていただけると嬉しいです。私たち抱樸は、山から切り出されたままの荒木(樸)を、そのまま抱き止める。その姿勢を名前に込めています。1988年の発足以来、ホームレス支援をはじめ、困難を抱える人々とともに37年にわたり現場を歩み続けてきました。しかし、一人ひとりを支えるだけでは限界があります。だからこそ、社会そのものを変える挑戦が必要だと考えてきました。今回のアミタさんとの連携にはその可能性を感じていて、ようやく本当の意味で社会そのものを変える挑戦ができると思っています。

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熊野:私たちアミタも、創業以来「凡人集まりて 非凡を成す」という言葉を大切にしてきました。一人ひとりは微力ですが、決して無力ではありません。誰かの幸せや未来を強く思う気持ちと、その想いを共有する仲間がいれば、人は無限の価値を生み出すことができる。そう信じて行動しています。社会を前に進める力は、誰かに勝つための競争ではなく、違いを抱えたまま関わり続け、共に変わっていく中にあるのだと思います。

だから私は、人の価値は能力や属性ではなく、その人がどんな関係性のなかで生き、どんな背景を歩んできたかに宿ると考えています。抱樸さんとのこの出会いを大切にし、ともに挑戦していきたいです。

路上生活者は減った。それでも、孤独は広がり続けた

奥田氏:今の社会では生きづらいと感じる人が増えている。人間が本来持っている「面白さ」を見失ってしまっているのではないでしょうか。私たちのこれまでの活動を通して見えてきたのは、そうした生きづらさには二つの層があるということです。

一つは「ハウスレス」。つまり、家を失うなどの経済的困窮です。もう一つは「ホームレス」。一般には路上生活者を指す言葉ですが、私はあえて違う意味で使っています。「ホーム」とは、心配してくれる人がいる場所であり、自分の変化に気づいてくれる人とのつながりです。その「ホーム」を失っている状態こそが、本当の意味でのホームレスなのです。そのため、私たちは「何が必要か」だけではなく「誰とのつながりが必要か」を問い続けてきました。経済的困窮と社会的孤立、この二つに同時に向き合わなければ、本当の意味で人を支えることはできないからです。

熊野:物理的な「家」はあっても、関係性という「ホーム」がない。それが今の日本社会の至るところで起きているわけですね。

奥田氏:まさにそうなんです。この30年間で路上生活者の数は減りました。国の政策も一定の成果を上げています。しかし一方で、路上生活者に象徴されていた孤立が、今では社会全体に広がってしまいました。30年前の路上の風景に、社会が追いついてしまったんです。これは本当にショッキングな現実です。

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熊野:単身世帯の増加も止まりませんよね。2050年には全世帯の44%以上が単身世帯になると予測されていますが、実際にはそのスピードは予測を上回っています。北九州市では、2020年時点ですでに全国の2025年予測に追いついていたそうですね。

奥田氏:そうなんです。予想よりも5年ほど前倒しで進んでいるんです。しかも国際比較調査では、「困ったとき、誰に頼りますか」という問いに対して、日本は近所の人や友人と答える割合が際立って低い。その分、困ったら家族に頼るという意識が強い社会なんです。ところが、その家族という基盤自体が、単身化によって機能しにくくなってきている。だから今、日本では「頼る相手がいない」という人が急速に増えているのです。

熊野:なるほど。その孤立が、人の心の中では「孤独」として積み重なっていくのだと思いました。孤独は、いまや福祉の問題だけではないと思うんです。効率や経済的な豊かさを追い求めた結果、社会そのものが孤独を大量生産してしまった。しかし、私たちは本来、孤独になるために生まれてきたのでしょうか。私は、そうではないと確信しています。そのことを、具体的な形で証明していかなければならないと強く感じています。

「手放すと貧しくなる」と信じ込んだ社会の末路

奥田氏:現代人は、自分が損をしたり痛みを負ったりすることを、できるだけ避けようとします。傷つくことを極端に恐れる社会になってしまったように思うんですね。

そんなことを考えていると、いつも思い出す作品があります。タルコフスキー監督の映画『サクリファイス』と、作家・柳田邦男さんの『犠牲(サクリファイス):わが息子・脳死の11日』です。

柳田さんの『犠牲』は、次男が自死を図り、脳死となった11日間を記録したノンフィクションです。その中で「人は、誰かが自分のために払った犠牲の上に生きている。その現実を認識できるかどうかが大切だ。」という趣旨のことが書かれていました。

私も本当にその通りだと思います。私たちは、自分一人の力で生きているわけではありません。親や家族、友人、名も知らない誰かまで、さまざまな人が自分のために時間や労力を差し出してくれている。その積み重ねの上で、今ここに生きています。その前提に立てるかどうかが、とても大切なんです。

ところが、傷つくことを極端に恐れる社会では、自分が傷つくのは嫌だし、ましてや誰かのために何かを差し出すことはもっと避けたくなる。しかし、その姿勢を続けている限り、結果的にもっと大きな孤独や分断を生み出してしまうのではないでしょうか。

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一般的に「豊かさ」というと、モノをたくさん持っている状態を思い浮かべる人が多いと思います。でも、本来の豊かさとは、むしろ手放すことにあるという、非常に逆説的なものではないかと思うんです。

聖書の中に、私が若い頃から好きな言葉があります。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう」という言葉です。つまり、一見無駄に思えることであっても、本当に大切なものを得るためには、まず自分のパンを手放してみなさい。そうすれば後になって、その意味がわかる、ということです。

パンは食べ物ですから、それ投げたら食べられなくなるわけです。でも神は、それでも手放せと言う。今は、みんな不安の中で大事そうにパン握りしめています。気が付けば、そのパンにはもうカビが生えて腐っている。それでも、自分の豊かさを守ろうとして手放そうとしない。お腹をすかせた人が目の前にいても、分けようともしない。傷つこうとしない。やはり「分けたら減る」と思っているからです。

個人にしても、社会や国のレベルにしても、自分のモノをもっと増やしたいわけですよね。無限に増やしたい。そうなると、みんなが「自分ファースト」のような感覚に囚われて、「分けたら減るから渡さない」、さらには「人のものを奪ってでも増やそう」という発想になってしまう。

でも本当の豊かさとは、「分けたら増える」ということを信じられるかどうかだと思うんです。物理的には分ければ減ります。しかし、人との関係は違います。分かち合うことで信頼が生まれ、その信頼がまた新たな分かち合いを生み、社会を豊かにしていく。傷つくことを恐れる社会は、「分けない社会」をつくってしまうのではないでしょうか。

熊野:本当にそうだと思います。私たちは、いつのまにか「市場のために社会があり、人生がある」かのような感覚に囚われてしまいました。経済を回すことが優先され、人生さえも商業化されている。だからどこかで、「自分の人生にも賞味期限がある」「必要とされ、価値を認められるにもタイムリミットがある」と、無意識のうちに思い込んでいるのではないでしょうか。

でも、本来、暮らしにも人生にも賞味期限なんてない。人は、ただそこに生きているというだけで、価値がある。奥田さんの「分けたら増える」というお話は、そうした順番そのものをひっくり返す転換だと感じます。

そして、お話を伺っていて思い浮かんだのが、この約30年間、日本では若者の死因の第1位が「自殺」であり続けているという現実です。高度経済成長を経て、社会が大きく変化していくなかで育った世代が若者になった頃から、絶望や虚無、生きる意味を見失う時代に入ってきたように思います。傷つくことを恐れ、誰にも頼れず、分け合うこともできない。私たちは、人が自ら死を選ばざるを得ない社会を、この国につくってしまった。私はそこに、社会の「誤作動」が起きているように感じています。

奥田氏:そうですね。若者自身が死を選んでしまうのは、野宿をしているおじさんたちが「助けて」と言えない構造と、どこか重なるものがあると思います。路上生活者になる前、多くの人は彼らを見捨てたり、見下げたりしていた。だからいざ自分がその立場になっても、「今度は自分が、あの時と同じ目で見られている」と感じてしまい、声を上げられない。

ひょっとしたら、若者も同じではないでしょうか。かつて「自ら命を絶つのは弱い人だ」と向けていた眼差しが、苦境に立ったとき、今度は自分自身に向けられる。すると「どうせ誰も助けてくれない」と思い込み、悪循環が起きてしまうのではないかと思います。当事者への差別がその人自身の中に内面化されてしまうように、若者の絶望や諦めもまた、こうした構造の中で生まれているのではないでしょうか。

熊野:なるほど。今「絶望」と「諦め」というお話がありました。この二つは、少し性質が違うように感じています。奥田さんは、どのように使い分けていらっしゃいますか?

奥田氏:おっしゃる通り、私もまったく違うものだと思います。

絶望する人は、とことん突き詰めて考えます。そこには哲学が生まれるような深さがある。ところが今の社会では、その手前で「もうどうでもいい」と諦めてしまう。絶望することさえできなくなっている気がするんです。

熊野:とてもよくわかります。私は、そこに「自由」の問題も関わっているように思うんです。戦後の日本は、自らの手で自由を勝ち取ったというより、民主主義や自由という価値を外から受け入れてきた、いわば「与えられる」形で歩んできました。そのため、私たちはもっと自由が欲しいとなると、与えてくれた誰かに依存してしまう。窮屈になっても、お金がもらえたり、休みが増えたりして状況が少し変わると、それで気が紛れてしまう。だから絶望が深まらない。絶望が深まらないということは、裏を返せば「希望」も深まらないということなんです。

本当に足場を失ったとき、人は初めて「何を信じて生きるのか」を問い始めます。その問いへの応答として、哲学や宗教は生まれてきた。人類はそうやって幾度も危機を乗り越えてきたはずです。そう考えると、希望とは絶望を回避した先にあるのではなく、絶望を見つめきった先に見出されるものなのかもしれません。

機能ではなく、物語で人を見るということ

熊野:希望は、一人では生まれないように思います。そこで改めて伺いたいのですが、奥田さんが考える「人間」とは何でしょうか。社会は路上生活をされている方を、一人の人格ではなく、「路上生活者」という属性やカテゴリーとして見てしまいがちです。けれども「人間」という言葉には、「人」と「間」があります。私は、この「間」、つまり「あわい」こそが、人間らしさの本質ではないかと思うんです。人は一人で完結した存在ではなく、他者や社会との相互作用の中で、少しずつ「私」という人間になっていく。

ただ、誰もがそういうふうに人を見ることは簡単ではありません。少年時代も含めて、なぜ奥田さんは人を属性ではなく関係性の中で見る視点を持つようになったのでしょうか。

奥田氏:私が思うに「あわい」とは、関係であり、矛盾でもあります。

人は誰かとの関わりの中で生きている。だからこそ、簡単には説明しきれない存在なんです。

「この人はこういう人だ」と決めつけた瞬間に、その理解は裏切られる。私の知らないその人が、必ずいるんです。

私たちの支援は、専門職が答えを持っているという前提に立つ「解決型」の支援とは違います。その人との関わり――まさに「あわい」の中に答えが生まれていくものなんです。たとえ完璧な"設計図"があったとしても、つながりの中で発芽のタイミングが変わったり、時にはその設計図自体が書き換えられたりしていく。個人の努力だけでは、突破できない世界があります。人と人との関係の中でしか進まない世界、それが伴走型支援だと思うんです。

熊野:伴走する相手に、自分を重ねていくということですか?

奥田氏:ある種、そうかもしれません。Aさんと私を切り分けて向き合うのではなく、Aさんになりきってみる。「この人だったら、何をしてほしいだろう」と考えていく。すると、その人が生きてきた設計図を、自分の中に描き直していくような感覚になるんです。苦労も伴いますが、そこには自分が広がっていくような喜びもあります。

熊野:その感覚は分かる気がします。ちょっと話が飛ぶかもしれませんが、金継ぎしたお茶碗がありますよね。「金で継ぐくらいなら、新しいものを買えばいい」と思う人もいるかもしれない。でも、「子どもがお小遣いを貯めてプレゼントしてくれたお茶碗なんです」と聞いた途端に、「この風合いがいいんだ」と思えてくる。

近代は「使えるか」「価値があるか」という機能性で物事を判断しがちです。人間に対してすら、そう見てしまうことがある。しかし、日本には風合いや背景、そのモノが背負ってきた時間を大切にする文化があります。奥田さんが人を"面白い"と捉える見立ては、そういった機能性ではなく、文化性で人を見ているということですよね。

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奥田氏:金継ぎ、いい例えですね(笑)。そうですね。「文化」と言ってもいいですが、私は「物語」と呼びたいですね。ここでいう物語は、「意味」とは少し違います。意味というと、「価値があるか」「役に立つか」という評価になってしまう。でも物語は「こんな人がいて、こんな人生を歩んできた」という、その人の歩みそのものです。人を単純に「いい人」「悪い人」とは言えない。いい小説が善悪だけでは語れないように、人もまた、多面的で簡単には割り切れない存在なんです。だから人間は最後まで分からない。その「分からなさ」を抱えたまま関わり続けられることが、人間の面白さなんだと思います。

熊野:ものすごく仏教的なお話ですね。善悪や優劣で人を分けるのではなく、すべては変化し続ける存在だから、「この人はこういう人だ」と決めた瞬間に、本当の姿から離れてしまう。そんな東洋的な人間観を感じました。

奥田氏:そうかもしれませんね。牧師である私がキリスト教に惹かれている理由も、そこなんです。キリスト教というと、善悪を厳しく分ける宗教だと思われがちです。でも私が大切にしているのは、「人間は皆、罪人である」という出発点です。誰もが弱さや不完全さを抱えている。だから人を「いい人」「悪い人」と裁くのではなく、誰もが赦される存在として向き合える。人間はすべからく弱く不完全だという大前提。そこに立てているから、路上の人も若者も、「弱い人間」として切り捨てずに向き合えるのかもしれません。

熊野:なるほど。それは、私が大切にしている「主客未分」という感覚にも近いですね。哲学者の西田幾多郎が『善の研究』で論じた考え方ですが、主体と客体をあらかじめ分けられたものとしてではなく、ひとつながりの経験として捉えるというものです。

日本人には昔から、自分と他者をきっぱり切り分けない感覚がありました。関西では相手のことを「自分」と呼んだり、社員が会社を「うちの会社」と言ったりするように、自他の境界をゆるやかに広げ、「大きな私」として生きる感覚があります。しかし、近代以降、私たちは人を分類し、評価し、効率で測るようになりました。でも本来の日本人は、もっと「あわい」の中で生きていた。相手を自分と切り離した存在ではなく、「自分たち」の一部として受け止めるような感覚です。相手との違いを「間違い」として排除するのではなく、同じ方向を向くための「風合い」として取り込む。その感覚を取り戻すことが、これからの社会には必要なんじゃないかと思っています。

その時に大切なのは、執着を手放し、人から与えてもらうことを受け入れる姿勢だと思うんです。その考え方は、実は事業にも通じると思います。

奥田氏:事業にも、ですか。

熊野:はい。今回奥田さんが進めた「希望のまち」も、多くの人が汗をかき、知恵を出し、お金を出しあったから実現できた。自分たちだけで閉じていたら、決してできなかった。それぞれの人が自分のできることを持ち寄り、できないことは助けてもらった。つまり、自分の不完全さを隠さず、人とつながったからこそ希望が形になったのだと思います。

奥田氏:全くそうだと思います。人との関係は、傷つくことなしには生まれません。「絆(きずな)」という言葉は、ひらがなで書けば上二文字は「きず(傷)」です。人と本気で関わり、結びつきを持てば必ず傷つく。傷つかない出会いなどというのは、実際には出会っていないということなのです。人は出会うことで変わるし、社会も関係の中でしか変わらない。

だから、「信なくば立たず」なんですよね。地域を信じ、人を信じ、社会を信じる。その信があるから、人は傷つくことを恐れず、一歩を踏み出せる。希望とは、その信が人と人との「あわい」の中で形になっていくことなのだと思います。

「希望のまち」は、実装のはじまりにすぎない

熊野:ここまでのお話を伺って、人とのつながりが社会を動かす力になることを改めて感じました。だから私は「希望を事業化する」という言葉を使います。企業としてこの取り組みに関わる以上、目の前の収益だけでなく、次世代との約束を引き受けることも、果たすべき役割だと思うんです。

今の経済は、顕在化したニーズに応えることで成り立っています。例えば、病気になった人が「薬が欲しい」と言って初めて、そこに経済的な価値が生まれる。でも本当は、人が薬に頼らず、日々体を動かしながら健康で暮らせる社会の方が望ましいはずです。では、そうなったら経済は縮んでしまうのか。私はそうは思いません。薬やモノ、お金への依存によって価値を生み出すのではなく、人と人とのつながりや、一人ひとりの可能性そのものが資産になる。そして、人の心や信頼、関係性が育まれるほど社会が豊かになり、その豊かさが新たな価値を生み出していく。そんな新しい経済の在り方は、必ず実現できるはずなんです。

これまで経済は、お金や効率を増やすことを目的に発展してきました。しかしこれからは、働けば働くほど人とのつながりが生まれ、暮らせば暮らすほど地域が豊かになる。そうした仕組みを社会の中に実装していかなければ、本当の意味で希望は社会に根づかないと思っています。

奥田氏:まさにその実践が、北九州で進めている「希望のまち」です。キャッチフレーズは「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」。「なんとかする」ではなく「なんとかなる」としているのがミソで、ある意味で信仰の言葉です。ただし、「なんとかなる」には条件があります。「わたし」と「あなた」という他者がいること。一人で思い込む世界ではなく、人と人との「あわい」の中にこそ、「なんとかなる」という信が生まれるのです。

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地域と福祉が融合する複合型施設「希望のまち」(北九州市小倉北区)

熊野:私は、この「希望のまち」が実現したこと自体に、大きな意味があると考えています。

このプロジェクトには、多くの人が思いを寄せ、5億円を超える寄付が集まったそうですね。これこそ、本当の創造の力だと思うんです。西洋的な創造性が、対象を動かし、ゼロから何かを生み出すことだとすれば、東洋的な創造性とは、すでにそこにある力を信じて、育て、見守ることなのではないでしょうか。種をまいたら、あとは芽が出るのを待つように、外から新しくつながりを作るのではなく、人と人との「絆」を結び直し、失われたつながりを再生していくイメージです。

実は、この「希望のまち」そのものが、そのことを体現している場所だと感じます。この土地には、もともと特定危険指定暴力団として知られていた「工藤会」の本部があったんですよね。

奥田氏:ええ。地域の人たちも、長い間、近づきたくないと感じていた場所でした。

熊野:樹液や体液が傷口を覆い、傷を癒していくように、生き物には自ら傷を治していく力があります。それがレジリエンスであり、創造の本質なのではないかと思うんです。工藤会という地域の「傷」を、新しい地域の「絆」へと変えていく。傷をなかったことにするのではなく、その傷を抱えたまま、新しい価値へと転換していく。その営みこそが創造なのだと思います。

今の社会は、市場が小さい、採算が合わないという理由で、本当に必要なものまで切り捨ててしまう。しかし、それでは断絶も、格差も、孤独も、広がるばかりです。

奥田氏:「希望のまち」という一つの拠点だけで社会全体が変わるわけではありません。だからこそ、同じ志を持つ人や企業が、それぞれの立場で関わり続ける仕組みが必要だと考えています。私たちNPOは志から始まる分、事業として継続する力には弱さがあります。

そこで今回、アミタさんと一緒に「百社中(ひゃくしゃちゅう)プロジェクト」を立ち上げることを決めました。100の企業・団体が10年間にわたり、希望のまちに伴走しながら、共創コミュニティを育てていく。従来の寄付やスポンサーではなく、「次の社会を一緒につくる」という参加の形です。私たちが持つ「一人をあきらめない」という魂と、アミタさんが培ってきた「関係性を社会の仕組みに変える事業力」。その二つが重なって初めて、希望は社会の仕組みになると思っています。

熊野:そのお言葉を、本当に心強く感じています。私は学生時代から哲学が好きだったのですが、「そんなの学んで、何の得になるんだ」とよく言われたものです。でも事業をやるようになって、哲学こそが経営の土台にあると気づきました。「人間とは何か」「幸せとは何か」を突き詰めて考える。その問いから生まれる論理の筋道が、社会や組織を動かす原理原則、つまり「経」を生む。それを組み合わせて実践するのが「経営」なんだと考えています。

社会を豊かにするというのは、突き詰めれば「無関心を関心に変えていくこと」だと私は捉えています。この50年、自然との関係を豊かにすることは、環境認証の仕組みなどを通じて少しずつ形にしてきましたが、人間関係を豊かにすることをどう仕組みにするかは、ずっと難しいテーマだったんです。社会の仕組みづくりには取り組んできたものの、その仕組みに「一人をあきらめない」という魂を十分に宿せていたかと問われると、大きな反省があります。

だからこそ、抱樸さんの強みと、アミタの強みを掛け合わせたかった。どちらか一方だけでは、社会は変わりません。違いを持つ人や組織が関わり続け、それぞれにできることを持ち寄ることで、社会は少しずつ良い方向へ変わっていくのだと思います。企業が社会課題に関わることがコストではなく、新しい価値になる。孤独や断絶の先に新たなつながりを生み出し、それを「関係資本」へと変えていきたいのです。

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抱樸の互助会では、毎月「誕生日会」を開催

奥田氏:関係性の豊かさの象徴的な例があります。私たちが支援してきた、元路上生活者の方々が空き缶を集め、その収益で希望のまちに来る子どもたちのためのお菓子を買ったり、いずれは、奨学金づくりにもつなげていきたいと考えています。こうして、かつて支えられた人が、今度は誰かを支える側になる。「分けたら減る」ではなく、「分けたら増える」の実例です。その循環を子どもたちが実際に目にしたとき、「世の中、なんとかなるかもしれない」と未来を信じられるようになる。理念だけでは人は変わりません。形になることではじめて信は育つ。そうやって私たちは、実際に社会の中で希望を見える形にしていきたいんです。

熊野:共感します。私たちはこの連携で「若者の死因トップ10から自殺を外す」ことを目指しています。誰かのために動く行動が信頼を生み、その信頼が次の行動につながる。そんな社会の循環を実装したい。それを私は「希望の事業化」と呼んでいます。その実践を、北九州から始めていきたいと思います。

奥田氏:わずかな食料を携えて路上に向かった日から、もう37年になります。あの頃から私たちが伝えてきた言葉があります。「僕はあなたのことをあきらめない」です。

百社中プロジェクトは、その思いを社会に広げる取り組みです。あなたをあきらめない人たちが100社集まれば、きっと希望は形になる。その仲間として、今回アミタさんとご一緒できることを、とても心強く思っています。

熊野:私たちも同じ思いです。本日は本当にありがとうございました。

奥田氏:ありがとうございました。

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※この対談から3カ月半後の2026年8月31日、「希望のまち」は竣工を迎えました。対談の中で語り合われた「希望を事業化する」という構想が、現実の建物として立ち上がった瞬間です。百社中プロジェクトは、ここからが本番です。志を同じくする企業・団体の皆さまと、この場所で一緒に希望を形にしていきたいと思います。

対談者

奥田 知志(おくだ ともし)氏
NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

1963年生まれ。関西学院大学神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めていた「ホームレス支援」に、赴任地の北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3,900人以上のホームレスの人々の自立を支援。


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